ありふれた日常

昨日と今日、家族でずっと過ごしました。暑かったけれど、子供と笑って喋って楽しかった。

日常は続いてこそ日常で、当たり前の日々なわけです。

旅行とか、子供の誕生日とか、結婚記念日とか、夫婦喧嘩とかのイベントとイベントの間にある当たり前の空気にたいな時間と思ってしまいがちです。

でも、悲しい事件や友人との話などふとしたきっかけで当たり前の日々に強い感謝の念を抱くこともあるわけです。

人生何がおこるかわからない。

当たり前のありがたさを感じなさい。いつ死んでも後悔しないように毎日に感謝して全力で生きなさい。

こんなことが自己啓発の本なんかに書いてあります。言ってることはわかります。

昔はそうだなと思ったし、そうありたいと今も思うこともあります。

でも、毎日、これが最後の晩餐かもしれない、これが子供との最後の会話かもしれないなんて過ごしていると、それはそれで精神がすり減ってしまいます。

周囲の人もその悲壮感と緊張感に引きますね。絶対。

それにこれが最後の晩餐かもしれないからと好きな者を毎日食べたいだけ食べてたら、もし何事もなく平穏に今年の年末を迎えたら体重が100kg超えますね。(笑)

これはこれで結局のところ幸せなのか不幸なのかわけわからなくなります。

ということで、たまに思い出して日常に感謝して、毎日の面倒なことも「これも考えてみたらありがたいことだよね」ってな程度で考えられると何でもない日常がちょっとよくなるかなと思いました。

何もなくてもいつも楽しそうに笑っている子供達。

楽しみ方の天才です。